コピーライターの左ポケット

左のポケットからは
思いがけないものがでてきます
役に立たないけれど捨てられない
自分にだけたいせつなものです

「コピーライターの左ポケット」は
RADIO BERRY-76.4☆FM栃木の
日曜日22時からの番組「柴草玲のイヌラジ」の
小さなコーナーでした
コピーライターがストーリーを書き
柴草玲さんが音楽をつけながら朗読をしてくださり
5年の長きにわたって続けることができました
番組の最終回は2015年3月29日でした
お聴きくださった皆さま、このサイトを訪問してくださった皆さま
ありがとうございました

なお、原稿と音声のみをご覧になりたいかたは
裏ポケットへどうぞ ↓
http://02pk.seesaa.net/



2011年12月06日

栃木のゆず風呂は12月10日と11日です

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栃木のゆず風呂は12月10日(土)と11日(日)です。
この二日間は鬼怒川と川治の温泉がゆず風呂になります。

11日の日曜日には鬼怒川温泉駅前でけんちん汁をご馳走してもらえます。
こちら朝の9時から、先着2000名です。
ゆずのお土産ももらえます。

鬼怒川川治温泉観光協会http://www.kinugawa-kawaji.com/

さて、このゆずなのですが
栃木の芳賀郡茂木町には「ゆずの里」があります。
わずか16戸、地図にも載らない過疎の村が
ゆずの果樹園として生まれ変わり、いまでは観光客も訪れます。

ゆずの里かおり村http://www.ntv.co.jp/burari/070825/info09.html

もともとが温泉のお湯に香り高いゆずを浮かべるのは
無色透明、無味無臭の素直な鬼怒川のお湯だからいいのかもしれません。

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2011年11月18日

栃木の温泉の冬較べ



こんな風景のなかで温泉につかったら
さぞいい気持ちだろうと思います。
まずは写真で景色をお楽しみください。
それぞれの写真または温泉の名前をクリックすると
その温泉のHPに飛びます。

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鬼怒川温泉街の冬景色


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湯西川温泉のかまくら祭


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塩原温泉、小太郎ヶ淵


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川治温泉冬景色


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奥日光湯元温泉の雪まつりは日本夜景遺産に登録されました


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雪の甲子温泉大黒屋、大岩風呂への橋

タグ:温泉 栃木
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2011年03月08日

田山花袋先生の奥日光湯元温泉

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 湯本の奥の温泉場は私にとって忘れられないところであった。
 私は其処には種々な記念を持っていた。
 ある時は栗山の方から万山の中を突破してして其処にやってきた。
 ある時は裏山めぐりをやってその疲労を其処に医(いや)した。
 ある時はようよう二、三日前にその浴場を開いたばかりのところにやって来た。
 それは五月の初めの頃であった。

 麓はもう新緑の深い頃であるのに
 其処にはまた一片の緑の色を見出すことが出来ず、
 林は空しく、山奥の雪は白く日に光って
 しんとした湖水はさびしく冬の山の姿を倒(さか)しまにひたした。
 いかにも寂として、心も骨も再び冬に逢ったような気がした。


 田山花袋「温泉めぐり」から


*奥日光湯元温泉:http://www.nikkoyumoto.com/

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2011年02月23日

那須温泉郷を整理する




温泉郷というからにはいくつもの温泉がある。
「温泉郷」という名前を使ったのは温泉好きの田山花袋先生だが
まあそれはともかく、いまでは複数の温泉をくくって「温泉郷」というから
いったいいくつ温泉があるのかわかりにくい。
そこで那須温泉郷をざっと整理したいと思う。
だいたいが掘れば温泉が出る土地なので、
資本を投下して掘って宿を建てて○○温泉と名付ければ通用してしまいそうだが
こちらでは、那須町の公式HPに掲載の歴史ある「那須七湯」を整理しておく。

その1:那須湯本温泉(鹿の湯)
    まず、最初に発見されたのがこの温泉で
    発見者は狩野三郎という狩人だとあちこちに書いてあるが
    狩野三郎は地方役人で鹿狩りをしていて温泉を見つけたらしい。
    630年頃のことと思われる。
    硫黄泉 硫酸塩 塩化物泉 78度

その2:大丸温泉
    茶臼岳の山麓にある温泉。
    元禄のころの発見と伝えられるが詳細は不明。
    標高1300mで、那須温泉のなかでは二番めに高く、
    奥まったところにある。
    一軒宿の大丸温泉旅館のすぐ脇を流れる川の水が温泉で
    その川を三段にせき止めた野天風呂がある。
    アルカリ性単純泉 74.2度

ぞの3:弁天温泉
    那須湯本温泉と大丸温泉の間にある温泉で、標高1200m。
    自然湧出の源泉が12本もある。
    250年ほど前に(徳川吉宗の息子の代くらいか)
    小林佐吉という人が那須にやってきて
    弁財天のお告げで温泉と弁財天像を発見したといういわれがあり
    温泉の湧く岩窟に弁財天を祀っている。一軒宿の弁天温泉旅館がある。
    鉄炭酸泉 60度

その4:北温泉
    天狗が日光から出羽へ行く途中に発見した温泉だという。
    それは1200年前のことだそうだ。
    一軒宿の北温泉旅館は江戸時代の末期からつづいており
    江戸末期というと曖昧だが、要は安政のころ、井伊直弼が暗殺されたのが
    「安政の大獄」あたりから存続していると思ってもらえばいい。
    建物も江戸、明治、大正、昭和と4時代の建築があり
    鄙びた囲炉裏の宿で、温泉のプロ向き。
    単純泉 弱食塩泉 鉄泉 55.9度

その5:八幡温泉
    那須高原の高台(標高1050m)にあり、関東平野が一望できるほか
    八幡崎のツツジが素晴らしいという。
    現在は湯量が不足して近くの大丸温泉から
源泉を分けてもらっているという
    噂も聞かれる。
    単純泉 55度

その6:高雄温泉
    かなり古い温泉らしいが、記録に登場するのは天保年間で
    山岳信仰の登山者が利用していたという。
    当時は「行者の湯」と呼ばれていた。
    もと一軒宿が焼失して以来、無料の野天風呂だけが残っていたが
    2004年に某格安ホテルチェーンが山荘をオープンさせた。
    毎分1000リットルの硫黄泉が自噴する。
    硫黄泉 40.1度

その7:三斗小屋温泉
    標高1450mのランプの宿。
    2時間かけて徒歩で行くしかアクセスの方法がない。
    1143年に奥州信夫村の人によって発見されたと伝えられる。
    2軒の宿がある。
    アルカリ性単純泉 40度〜58度
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2010年12月08日

那須三郎、板室温泉を発見

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板室温泉は那須塩原市にあって、
塩原温泉と那須温泉の真ん中よりちょっと那須寄りに位置する。
温泉の発見は平安中期、後冷泉天皇の時代で
大実力者だった藤原道長はもう亡くなっており
世の中に多少翳りがみえてきた頃だ。

塩原市の歴史によると、塩原温泉の発見が806年。
板室温泉は1059年の3月に那須三郎宗重によって
発見されている。
なんでも鹿狩りをしていて見つけたのだそうだ。

この那須三郎という人については何もわかっていないが
那須の開発者、または領主でもあったのだろうか。
塩原を領した塩原八郎、宇都宮を根拠とする宇都宮氏もいるし
黒磯などは黒館五郎、磯勝光という開発者の一文字をもらって命名されている。

まあ、ともかく、この那須三郎くんが発見したわけなのだが
いまと違って、即座に温泉旅館が立ち並ぶわけでもない。
この温泉が知られるようになったのは17世紀末に会津中街道が整備されてからで、
板室は宿場町として開かれ、
板室本村に会津藩が24戸を移転させて本陣と脇本陣を配置した。
温泉そのものは、この板室宿ではなく少し離れた山の塩澤という集落にあり
本村の宿場の年寄りが隠居仕事に春から秋まで湯治宿の番をしたのであった。
18世紀なるとこの温泉は「下野の薬湯」として、
また集落の名「塩澤の湯」と呼ばれて広く知られるようになった。

板室温泉の湯治場が季節問わず営業するようになったのは
明治になってからで
宿場町が衰退し、逆に湯治客が増えはじめたので
温泉のある方に定住して湯治宿を本業にするようになったのだ。
そうだ、衰退といえば、板室本村は戊辰戦争のときに
官軍に火をかけられ、二戸を残してすべて焼失したのだった。
そりゃまあ、衰退もするでしょう。

板室温泉で本陣を名乗る一井屋は
かつて板室本村宿の本陣で問屋場も兼ね
「那須は崩れても一井屋は崩れない」と評判の大富豪だったが
やはりご隠居さんが湯治場の番をしていたのだろうか。
板室温泉にも一井屋という宿がある。
その本陣よりもさらに古いという大黒屋は
宿場ができる以前の1551年創業だというが
こちらは塩澤集落の在の人が営む湯治場だったのだろうか。
温泉の歴史も紐解くと面白い(さ)


板室温泉:http://www.itamuro.com/
泉質:アルカリ性単純泉
効能:リューマチ 神経痛 高血圧 筋肉痛 消火器病
   疲労回復 冷え性 関節痛 肩こり 腰痛 痔疾 健康増進 打ち身
   中風 糖尿病 運動器障害など。


タグ:板室温泉
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2010年11月12日

ゆず湯へどうぞ

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はじめになぞなぞです。
高知、山梨、栃木、埼玉に共通する産物は何でしょう。

では次です。
七味、胡椒、薬味、お茶、ジュース、香水に共通して使われるものは何でしょう。

あまりにもわかりやすい答でしたね。
正解のかた、栃木のゆず湯へおでかけになりませんか。
鬼怒川温泉・川治温泉では12月11日と12日にすべての温泉がゆず風呂になります。
日光市東照温泉では冬至の日に2000個あまりのゆずを浮かべます。
ゆずの里もあります。
ゆずの里では年間1万円でゆずの木のオーナーになることができます。

栃木のゆずをお楽しみください(さ)

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2010年10月29日

ランプの宿 三斗小屋温泉

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三斗小屋温泉は那須温泉の一族だが
標高1903メートルの朝日岳の中腹に位置している。
温泉が湧くところが標高1500メートルなので
車で行ってもロープウェーで登っても、そこから2時間ほど歩く。
いや、歩くというより登る。

この温泉にはもともと宿場があった。
会津中街道の宿場、三斗小屋宿である。
中街道が使われなくなって宿場そのものが廃宿となり
いまや遺跡(?)が残るのみになってしまったが
そこから2km山道を登ったところに三斗小屋温泉の宿が二軒ある。

三斗小屋温泉の宿は電気がきていない。
昔は完全に「ランプの宿」だったが、いまではランプに加えて
自家発電の電球が細々と灯る。

その自家発電の電気ははやばやと消灯するので
三斗小屋温泉の朝は早い。
朝食6時半〜、夕食16時半、消灯21時。
1週間もいればラジオ体操が好きな小学生に戻ってしまいそうだ。

このあたりは冬の訪れが早く、雪も深い。
積雪4メートルの記録もある。
そうなると歩いて行かれるものでもないし
客の食料も人が担ぎ上げるのだから厳冬期はもちろん休業。

山の装備が必要な温泉だが、秘湯ファンの人気は高い(さ)

煙草屋旅館:http://www.tabakoyaryokan.com/
大黒屋:http://www.mountaintrad.co.jp/tochigi/3dg/daikokuya/data.html

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2010年10月21日

栃木の温泉「日帰り」で「混浴」で「露天風呂」

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*写真は湯守り田中屋の露天風呂



*那須湯元温泉 鹿の湯(日帰りのみ)
 殺生石の近く。混浴と女性専用がある。19時まで。
 栃木県那須郡那須町湯本51  0287-76-3098
 http://motoyu-shikanoyu.com/

*那須温泉 大丸温泉
 茶臼岳の中腹にある。川をせきとめた温泉で女性専用もあり。
 15時まで。
 栃木県那須郡那須町大字湯本269 0287-76-3050
 http://www.omaru.co.jp/onsen.stm

*那須温泉郷 北温泉
 古い湯治場。数カ所の浴室、渓流沿いの露天風呂、大きな温泉プール。
 18時まで。
 栃木県那須郡那須町湯本151 0287-76-2008
 http://www9.ocn.ne.jp/~kitanoyu/mokuj.htm

*塩原温泉郷 湯守り田中屋
 箒川の渓谷沿いにいくつも露天風呂がある。女性専用もひとつあり。
 八湯めぐりが楽しめる。20時まで。
 栃木県那須郡塩原町下塩原6 0287-32-3232
 http://www.tnky.jp/

*塩原温泉 不動の湯(日帰りのみ)
 森のなかにあり、目の前が渓流。
 湯船がひとつだけの混浴。夜は明かりがない。21時まで。
 栃木県那須郡塩原町福渡 0287-32-2512(観光協会)
 http://www.yuu3.jp/spa/hudounoyu/

*女夫渕温泉
 鬼怒川沿いの12カ所の露天風呂がある。うち2カ所が女性専用だが
 平然と混浴に入る若い女性が多いとの噂もある。15時まで。
 栃木県塩谷郡栗山村川俣字荒井蛇880−2 0288−96−0001
 http://www.meotobuchionsenhotel.com/
 
タグ:栃木 温泉
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2010年10月16日

松尾芭蕉、那須温泉に到着

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*写真は11月の那須岳


松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で那須湯元温泉に到着したのは
旧暦の4月18日のことだった。新暦ならば6月5日になる。
二日ばかり雨に降り込められ、高久の名主高久覚衛門宅に逗留し
18日にやっと雨が止んで昼ころに出発、
三里の道を歩いて午後2時半頃に那須湯元に到着している。

芭蕉はどうやら殺生石を見たかったようで
「奥の細道」を見ると,那須へ行くとは書いておらず
「これより殺生石に行く」とある。
そうか、殺生石しかアタマになかったのか…まあいいですが。

そして、那須湯元に到着した18日は
たぶん俳諧のエライ師匠が来たというので歓迎のいろいろがあったのか
そのまま投宿してしまった。宿は老舗の和泉屋だった。
(和泉屋は五十五代にわたる湯宿の老舗だったが1986年に廃業)

翌19日には和泉屋の主の案内で温泉神社に参詣した後に
やっと殺生石を見物している。
念願の殺生石は印象深かったらしく
 石の毒気はいまだに消えず、
 蝶や蜂が地面が見えないくらい折り重なって死んでいた。
と、記されている。

ところで、芭蕉の行く先々では句会なども催されているが
二泊して殺生石だけの見物とは思えない。
ちなみに、芭蕉の道連れ曾良の随行日記には「湯数六ヶ所」と
記されている。
当然ながら湯めぐりもしたのではなかろうか。


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2010年10月14日

日光湯元温泉は奈良時代にはじまる

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栃木の下野にかつてあった薬師寺は
日本の三戒壇のひとつでした。
戒壇というのは、大雑把に過ぎる書きかたをすれば
僧侶に正式な免許を授ける役所です。
当時の戒壇院は奈良の東大寺、九州の観世寺、栃木に薬師寺があり
この三カ所が僧侶の管理も行なっていたのでした。

さて、天平時代の下野の国に
地方役人の子供として生まれた藤糸丸は7歳のときに
明星天子と名乗る神が夢枕に立ち
あ、説明しますと明星天子は金星の神さまなのですが
ともかくこの金星が夢枕に立ちまして仏道修行をせよと命じます。

そこで藤糸丸くんは少年の頃から山を駆け回って修業を積み
20歳になると、同じく栃木の出流に籠ります。
出流は現在では蕎麦のうまい山里、
または名水の里として知られ、地ビールなども産していますが
藤糸丸の時代は奈良時代です。
20歳を過ぎてもビールが飲めるわけでもなく
やがて出流を出て大劔峰に登ります。
藤糸丸23歳のときです。
大劔峰はいまの横根山のことで、山岳仏教の修業の地でした。
標高1373メートル、いまでは途中まで車で登れば駐車場もあり、
ハイキンもできる山ですが
なにしろ奈良時代です。山岳仏教です。
そんなところで修行を積むのはタイヘンです。
横根山で3年の修業を終えた藤糸丸は、いったん生まれ故郷に戻って
ついに下野の薬師寺に入り、戒を受け僧籍に入ります。
ときに27歳でした。

翌年、さらに具足戒を受け正式な僧侶になった藤糸丸は
その名も「勝道」とあらためました。
勝道上人の誕生、といえばいいでしょうか。
この勝道上人が日光を開いた人であります。
32歳で草葺きの小さなお堂を建てたのがそのはじまりです。

二荒山登山に挑戦し、道を整備し、寺を造営し
湖や滝を発見し、
要するに探検と土木と宗教をまとめてやっておったわけなのです。
昔の仏教というのは、知識であり技術でもあったことが
よくわかります。
いま「日光山」と呼ばれる神社や寺院群、
二荒山、東照宮、輪王寺を中心とする一大伽藍の建設開発は
このときからはじまったのでした。

そうこうしている間にも勝道上人は
日光の奥にまで足を伸ばします。
中禅寺湖までの参道(いろは坂)、さらにその奥への道も
この頃に開拓されたと思われます。
そして、いよいよ湯ノ湖のほとりにある温泉、
つまり奥日光湯元温泉を発見することになるのですが
これが788年、勝道上人54歳のときでした。

勝道上人は温泉の発見を喜んで温泉寺を建て
薬師如来を祀りました。
ちなみに温泉寺の温泉は入浴料500円で誰でも入浴できるそうです。


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