コピーライターの左ポケット

左のポケットからは
思いがけないものがでてきます
役に立たないけれど捨てられない
自分にだけたいせつなものです

「コピーライターの左ポケット」は
RADIO BERRY-76.4☆FM栃木の
日曜日22時からの番組「柴草玲のイヌラジ」の
小さなコーナーでした
コピーライターがストーリーを書き
柴草玲さんが音楽をつけながら朗読をしてくださり
5年の長きにわたって続けることができました
番組の最終回は2015年3月29日でした
お聴きくださった皆さま、このサイトを訪問してくださった皆さま
ありがとうございました

なお、原稿と音声のみをご覧になりたいかたは
裏ポケットへどうぞ ↓
http://02pk.seesaa.net/



2010年12月08日

那須三郎、板室温泉を発見

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板室温泉は那須塩原市にあって、
塩原温泉と那須温泉の真ん中よりちょっと那須寄りに位置する。
温泉の発見は平安中期、後冷泉天皇の時代で
大実力者だった藤原道長はもう亡くなっており
世の中に多少翳りがみえてきた頃だ。

塩原市の歴史によると、塩原温泉の発見が806年。
板室温泉は1059年の3月に那須三郎宗重によって
発見されている。
なんでも鹿狩りをしていて見つけたのだそうだ。

この那須三郎という人については何もわかっていないが
那須の開発者、または領主でもあったのだろうか。
塩原を領した塩原八郎、宇都宮を根拠とする宇都宮氏もいるし
黒磯などは黒館五郎、磯勝光という開発者の一文字をもらって命名されている。

まあ、ともかく、この那須三郎くんが発見したわけなのだが
いまと違って、即座に温泉旅館が立ち並ぶわけでもない。
この温泉が知られるようになったのは17世紀末に会津中街道が整備されてからで、
板室は宿場町として開かれ、
板室本村に会津藩が24戸を移転させて本陣と脇本陣を配置した。
温泉そのものは、この板室宿ではなく少し離れた山の塩澤という集落にあり
本村の宿場の年寄りが隠居仕事に春から秋まで湯治宿の番をしたのであった。
18世紀なるとこの温泉は「下野の薬湯」として、
また集落の名「塩澤の湯」と呼ばれて広く知られるようになった。

板室温泉の湯治場が季節問わず営業するようになったのは
明治になってからで
宿場町が衰退し、逆に湯治客が増えはじめたので
温泉のある方に定住して湯治宿を本業にするようになったのだ。
そうだ、衰退といえば、板室本村は戊辰戦争のときに
官軍に火をかけられ、二戸を残してすべて焼失したのだった。
そりゃまあ、衰退もするでしょう。

板室温泉で本陣を名乗る一井屋は
かつて板室本村宿の本陣で問屋場も兼ね
「那須は崩れても一井屋は崩れない」と評判の大富豪だったが
やはりご隠居さんが湯治場の番をしていたのだろうか。
板室温泉にも一井屋という宿がある。
その本陣よりもさらに古いという大黒屋は
宿場ができる以前の1551年創業だというが
こちらは塩澤集落の在の人が営む湯治場だったのだろうか。
温泉の歴史も紐解くと面白い(さ)


板室温泉:http://www.itamuro.com/
泉質:アルカリ性単純泉
効能:リューマチ 神経痛 高血圧 筋肉痛 消火器病
   疲労回復 冷え性 関節痛 肩こり 腰痛 痔疾 健康増進 打ち身
   中風 糖尿病 運動器障害など。




タグ:板室温泉
posted by ポケット社 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 栃木温泉ものがたり | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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