左のポケットからは
思いがけないものがでてきます
役に立たないけれど捨てられない
自分にだけたいせつなものです
「コピーライターの左ポケット」は
RADIO BERRY-76.4☆FM栃木の
日曜日22時からの番組「柴草玲のイヌラジ」の
小さなコーナーでした
コピーライターがストーリーを書き
柴草玲さんが音楽をつけながら朗読をしてくださり
5年の長きにわたって続けることができました
番組の最終回は2015年3月29日でした
お聴きくださった皆さま、このサイトを訪問してくださった皆さま
ありがとうございました
なお、原稿と音声のみをご覧になりたいかたは
裏ポケットへどうぞ ↓
http://02pk.seesaa.net/
▼
コピーライターの左ポケット
▲
2010年10月16日
松尾芭蕉、那須温泉に到着

*写真は11月の那須岳
松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で那須湯元温泉に到着したのは
旧暦の4月18日のことだった。新暦ならば6月5日になる。
二日ばかり雨に降り込められ、高久の名主高久覚衛門宅に逗留し
18日にやっと雨が止んで昼ころに出発、
三里の道を歩いて午後2時半頃に那須湯元に到着している。
芭蕉はどうやら殺生石を見たかったようで
「奥の細道」を見ると,那須へ行くとは書いておらず
「これより殺生石に行く」とある。
そうか、殺生石しかアタマになかったのか…まあいいですが。
そして、那須湯元に到着した18日は
たぶん俳諧のエライ師匠が来たというので歓迎のいろいろがあったのか
そのまま投宿してしまった。宿は老舗の和泉屋だった。
(和泉屋は五十五代にわたる湯宿の老舗だったが1986年に廃業)
翌19日には和泉屋の主の案内で温泉神社に参詣した後に
やっと殺生石を見物している。
念願の殺生石は印象深かったらしく
石の毒気はいまだに消えず、
蝶や蜂が地面が見えないくらい折り重なって死んでいた。
と、記されている。
ところで、芭蕉の行く先々では句会なども催されているが
二泊して殺生石だけの見物とは思えない。
ちなみに、芭蕉の道連れ曾良の随行日記には「湯数六ヶ所」と
記されている。
当然ながら湯めぐりもしたのではなかろうか。
【栃木温泉ものがたりの最新記事】
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック