コピーライターの左ポケット

左のポケットからは
思いがけないものがでてきます
役に立たないけれど捨てられない
自分にだけたいせつなものです

「コピーライターの左ポケット」は
RADIO BERRY-76.4☆FM栃木の
日曜日22時からの番組「柴草玲のイヌラジ」の
小さなコーナーでした
コピーライターがストーリーを書き
柴草玲さんが音楽をつけながら朗読をしてくださり
5年の長きにわたって続けることができました
番組の最終回は2015年3月29日でした
お聴きくださった皆さま、このサイトを訪問してくださった皆さま
ありがとうございました

なお、原稿と音声のみをご覧になりたいかたは
裏ポケットへどうぞ ↓
http://02pk.seesaa.net/



2010年10月14日

日光湯元温泉は奈良時代にはじまる

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栃木の下野にかつてあった薬師寺は
日本の三戒壇のひとつでした。
戒壇というのは、大雑把に過ぎる書きかたをすれば
僧侶に正式な免許を授ける役所です。
当時の戒壇院は奈良の東大寺、九州の観世寺、栃木に薬師寺があり
この三カ所が僧侶の管理も行なっていたのでした。

さて、天平時代の下野の国に
地方役人の子供として生まれた藤糸丸は7歳のときに
明星天子と名乗る神が夢枕に立ち
あ、説明しますと明星天子は金星の神さまなのですが
ともかくこの金星が夢枕に立ちまして仏道修行をせよと命じます。

そこで藤糸丸くんは少年の頃から山を駆け回って修業を積み
20歳になると、同じく栃木の出流に籠ります。
出流は現在では蕎麦のうまい山里、
または名水の里として知られ、地ビールなども産していますが
藤糸丸の時代は奈良時代です。
20歳を過ぎてもビールが飲めるわけでもなく
やがて出流を出て大劔峰に登ります。
藤糸丸23歳のときです。
大劔峰はいまの横根山のことで、山岳仏教の修業の地でした。
標高1373メートル、いまでは途中まで車で登れば駐車場もあり、
ハイキンもできる山ですが
なにしろ奈良時代です。山岳仏教です。
そんなところで修行を積むのはタイヘンです。
横根山で3年の修業を終えた藤糸丸は、いったん生まれ故郷に戻って
ついに下野の薬師寺に入り、戒を受け僧籍に入ります。
ときに27歳でした。

翌年、さらに具足戒を受け正式な僧侶になった藤糸丸は
その名も「勝道」とあらためました。
勝道上人の誕生、といえばいいでしょうか。
この勝道上人が日光を開いた人であります。
32歳で草葺きの小さなお堂を建てたのがそのはじまりです。

二荒山登山に挑戦し、道を整備し、寺を造営し
湖や滝を発見し、
要するに探検と土木と宗教をまとめてやっておったわけなのです。
昔の仏教というのは、知識であり技術でもあったことが
よくわかります。
いま「日光山」と呼ばれる神社や寺院群、
二荒山、東照宮、輪王寺を中心とする一大伽藍の建設開発は
このときからはじまったのでした。

そうこうしている間にも勝道上人は
日光の奥にまで足を伸ばします。
中禅寺湖までの参道(いろは坂)、さらにその奥への道も
この頃に開拓されたと思われます。
そして、いよいよ湯ノ湖のほとりにある温泉、
つまり奥日光湯元温泉を発見することになるのですが
これが788年、勝道上人54歳のときでした。

勝道上人は温泉の発見を喜んで温泉寺を建て
薬師如来を祀りました。
ちなみに温泉寺の温泉は入浴料500円で誰でも入浴できるそうです。




posted by ポケット社 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 栃木温泉ものがたり | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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