コピーライターの左ポケット

左のポケットからは
思いがけないものがでてきます
役に立たないけれど捨てられない
自分にだけたいせつなものです

「コピーライターの左ポケット」は
RADIO BERRY-76.4☆FM栃木の
日曜日22時からの番組「柴草玲のイヌラジ」の
小さなコーナーでした
コピーライターがストーリーを書き
柴草玲さんが音楽をつけながら朗読をしてくださり
5年の長きにわたって続けることができました
番組の最終回は2015年3月29日でした
お聴きくださった皆さま、このサイトを訪問してくださった皆さま
ありがとうございました

なお、原稿と音声のみをご覧になりたいかたは
裏ポケットへどうぞ ↓
http://02pk.seesaa.net/



2014年09月29日

熊本に帰っていました。

熊本では夏と秋の攻防戦が大詰めを迎えており、
8回の裏あたりを戦っているくらいで、
秋側は満塁ホームランでいっきに突き放しにかかり、
ピッチャーを使い果たした夏側のベンチにはうつむく夏の姿が
見受けられるといった感じでした。
その視線の先には蝉の死骸が転がっていたのかもしれません。
つまり、熊本は肌寒いくらいに涼しかったというわけです。

熊本の秋は、毎年9月終わりに行われる「藤崎八旛宮秋季例大祭」を
境に急速に深まっていきます。
それは、別名「馬追い祭り」とも言われるように、
しめ縄などで飾られた馬のあとに勢子と言われる人たちがつづき、
まさに人馬一体となって街を狂喜乱舞しながら練り歩くという祭りです。
いちばんの見所は、やはり暴れ馬でしょうか。
太鼓やラッパの爆音に驚いた馬が走り出そうとするのを、
ハッピに「口取り」と刺繍された男衆がなだめ、
かといってただ大人しくさせるのではなく、
巧みな手綱さばきで適度に暴れさせて
後ろ足を蹴り上げ跳ねるように仕向けるのですが、
その馬の迫力に、観客たちは怯えながらも歓声をあげるのです。
個人的には、博多どんたくや長崎くんちのように、
全国的にもっと有名になってもいい祭りだと思っていますが、
きっとそうはならないでしょう。
だって、品がないんだもん。
Webで検索すると、下品で低俗で熊本の民度の低さを象徴している
祭り、なんてひどいことを書いている人もいるけど、
その通りなんだもん。
馬はいつ暴れ出すか分からないし(たまに蹴られて怪我人も出る)、
ところ構わず糞をするし、
勢子のお兄さんたちは、顔はクログロ、
髪はツヤツヤウネウネで全体的にエグザイルだし、
お姉さんたちはお姉さんたちで、
画家になったつもりか自分の顔面をキャンバス代わりに塗りまくった上、
盛大にくるんとさせた長いまつ毛はラージヒル状態だし、
こんな男女がこんな祭りで出会えば終わった後はやることはひとつで、
祭りのあとの熊本市内のホテルはどこも満室だろうし、
泊まれなかったカップルたちは、
路肩にとめた車をゆらりゆらりと時に激しく上下に揺らすことになるに違いなくて、
ほんとにもう下品で低俗です。
動物保護の観点からもほめられたものじゃない。
馬がかわいそうじゃないかと言われたらなにも言い返せない。
誰だってあの馬の寂しげな目に見つめられたら、ぎゅっと胸をしめつけられる。
おまけに熊本の特産品といえば馬刺です。いろいろと考えさせられます。
加えて、この祭りの起源がよろしくない。
加藤清正の朝鮮出兵がはじまりだから、このご時世、
この祭りを手放しで褒めたりすることはためらわれます。
だから、ぼくは、この祭りがメジャーになることはないと思います。
でも、それでいいような気もします。
むしろ、メジャーになんかなるなっていうか。
もし全国各地から観光客がやってくるようになったら、
県はすぐに、糞が不潔だから馬にオムツをさせなさいとか、
そもそも馬は危険だからポニーにしなさいとか言い出すかもしれません。
そうなると、どんどんお上品なことになって、誰のための祭りだか分からなくなる。
このお祭り、ただでさえ規制が厳しくなっています。
ぼくが子供の頃は「ボシタ祭り」と呼ばれて親しまれていたのに、
諸事情で最近ではそう言えなくなってしまっています。
仕方なく「藤崎八旛宮秋季例大祭」と正式名称で
呼ばれているのですが、それではなんだか堅苦しい。
「どんたく」や「くんち」と似て
親しみやすい響きだったのに「ボシタ」という呼び方は。
それなのに今はもうそう呼べないんなんて。くそう。なんかくやしいな。

でも、まあ、そんな祭りを今年は久しぶりに見ることができました。
あいかわらず下品でした。
馬たちは、便秘の人が見たらうらまやしさで
発狂するくらい盛大に馬糞をしておりました。
その匂いに、ぼくは懐かしさを覚えました。
子供の頃、大人たちに「馬糞ば踏むと足が速くなるとばい」と
そそのかされてほかほかを踏みにいかされたものでした。
右足で踏んだら「右足だけ速くなったら、そこでぐるぐる回ることになるばい」と
言われて、左足でも踏まされたものでした。子供にそんなこと言うなんて、
熊本の大人は、ほんとに卑劣で低俗だと思います。
あのときの靴ごしのぬくもりは今でも覚えています。
祭りの翌日、熊本の気候は、半袖でも大丈夫なくらいに
暑さがいったん勢力を取り戻しましたが、その翌日にはやはり再び肌寒くなり、
今年もそろそろ秋の勝利でゲームセットがコールされそうな様子でした。(う)
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2014年09月28日

上田浩和 2014年9月27日放送

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503

             上田浩和

その日は、
高校に入学して最初の実力テストの結果が出た日で、
クラスメイト数人がりゅうくんを囲みなにやら騒いでいた。
「こいつ503番てよ」「全部で何人だっけ」
「503人」「最下位だ。すげーね」
そう言って囃し立てるクラスメイトたちの真ん中でりゅうくんは、
むしろ誇らしげに、芸人が笑いをとったときの嬉しそうな表情と似た笑みを浮かべていた。その頃、まだ友達がいなかったぼくは、
この人なら話しかけやすそうだと思い、
りゅうくんが一人になるのを待って話しかけた。
「りゅうくんて、503番だったと?」
りゅうくんと話したのは、そのときがはじめてだった。

りゅうくんは503という数字に縁があった。
りゅうくんが503番という学年最下位を
とってからしばらくすると、
テレビでエドウィンのCMが流れはじめた。
モンゴル草原を作家の椎名誠が馬にまたがり
疾走するだけの内容だったけど、そのなかにモンゴル人の子供が、
椎名誠に「シーナサンヨッホ」と呼びかけるシーンがあった。
おそらく「椎名さんも行こうよ」と言っていたのだと思う。
それのどこが面白かったのか分からないが、
りゅうくんは何度も何度も真似していた。
弁当を食べながらシーナサンヨッホと言いご飯粒を吹き出し、
上履きにマジックでシーナサンヨッホと書いては笑い、
授業中に当てられたときにもシーナサンヨッホと叫んで
ブルドッグ顔の公民の先生に怒鳴られたりしていた。
そして、そのCMのなかで椎名誠がはいていた
エドウィンのジーンズの型番もまた503だった。

そんな不思議な繋がりのおかげで、
ぼくのなかでは、りゅうくんと言えば503、
503と言えばりゅうくん、ということになっており、
たまにりゅうくんのことを思い出すことがあると、
りゅうくんはいつも503の真ん中の0の中から
笑顔をのぞかせてこちらに手を振っているのである。


出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/



タグ:上田浩和
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2014年09月21日

小松洋支 2014年9月14日放送

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ナフタリン
         
        小松洋支

あたりはうす暗かった。
銀色の細い柱が等間隔で何本も立っていた。
遠くのほうの柱は、ぼうっと白く、
月の光に照らされているように見えた。

柱の表面はなめらかで、触れるとひんやりと冷たかった。
足がかりになるような凹凸(おうとつ)はどこにもなく、
登るにはかなりの困難が予想された。

柱の上の方から、かぐわしい匂いが漂っていた。
空腹を誘うような、なんともいえず甘美な匂いだった。
見上げると、柱の尽きるあたりを黒い影が覆っていた。

柱から柱へとめぐって分かったことだが、
どの柱の上にもそれぞれ黒い影が覆いかぶさっていて、
ちょうど大きなパラソルが並んで立っているような具合だった。

影の形は柱によって微妙に異なり、
それぞれに固有な模様があるようにも思われた。

とある柱の上からは、ことによい匂いが降りしきっていたので、
その魅力に抗うことができず、柱を登る決心をした。

最初は自分の背丈くらいまで登るのが精いっぱいだった。
登っては滑り落ち、登っては滑り落ち、
時には仰向けに倒れて、しばらく起き上がれないこともあった。

けれども匂いの吸引力が本能に働きかけ、
何十回も失敗を繰り返したのち、
気がつくとなんとか柱の上の方までよじ登っていた。

目の前に、影の実物があった。
それは光沢のある黒い絨毯のようだった。
雲形定規に似た不規則な形をしており、
下からでは分からなかったが、
小ぶりな赤い模様がひと所に弧を描いて並んでいた。
むせかえるような匂いに、目がくらみそうだった。

そのとき、夜が一瞬で明けたかのように、あたり一面が明るくなり、
非常に巨大な何かが近くに降りてきた。
未曾有の恐怖に身を固くしていると、それはまもなく去ってゆき、
またもとのうす暗い世界に戻った。

だが、すぐに、何か違う種類の匂いがたちこめてくるのに気づいた。
揮発性の強烈な匂いだった。
頭の芯がぐらぐらして、思わず手を離した。
あとほんの少しで届くところだった黒い影が
夢のように遠ざかって行った。
そして意識が遠のいた。

翌日、少年はまた標本箱を開けてみた。
クロアゲハの標本の下で、
ごく小さな甲虫が足を縮めて死んでいた。
昨日入れたナフタリンの匂いが鼻をついた。


出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/




タグ:小松洋支
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2014年09月14日

太田祐美子 2014年9月14日放送

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ポトラッチ

        太田祐美子
        
ポトラッチ。
贈り物をされたとき、そのお礼として、
さらに高価なものをお互いに贈り合い続ける。
とある民族の儀式のことだ。

たとえば。
ある村の酋長が、隣の村の酋長の家に招かれたとき、
手みやげとして魚の干物を贈る。
そんなフランクな感じでポトラッチは始まる。

隣の村の酋長は、感謝の気持ちを示すために
いただいたものより高価なものをお返ししたいと考える。
そして、干物のお礼に砂糖を贈ることにする。

そのお礼に、砂糖より高価なもの。ヒグマの毛皮が贈られる。
そのお礼のお礼に、銅のネックレスを贈る。
そのお礼のお礼のお礼として、ついに現金が贈られる。
酋長たちは負けず嫌いだったんだろう。
ポトラッチはさらに加熱する。
現金のお礼は、現金より高価なもの。
なんだ、なにがいい。
隣の村の酋長は、最愛の妻を贈ることを決意する。

人妻を贈られた酋長は、自分の家を焼き払う。
気が狂った訳ではない。大切なものを贈るどころか
それを破壊することで、返礼のさらなる高みを目指そうとしたのだ。

そのお礼は、もうひとつしかなかった。
ポトラッチ。最後には、自分の最も大切のもの。
自分の命すら差し出すこともあったという。


つきあって3年。
ピアス、財布、ネックレス、バッグ。
お互いの誕生日にプレゼントを贈り合ってきた。
そろそろ小箱がパカッとあいて、
暗黙の了解的に左手の薬指につけるアレが
贈られる頃合いなんじゃないの?
そう思っていたんだと思う。

彼が私にくれたものは、靴だった。
かわいいけど、うれしいけど。
私は大学の人類学の授業で学んだ、
ポトラッチのことを思い出していた。


出演者情報:柴草玲 http://shibakusa.kokage.cc/


タグ:太田祐美子
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2014年09月13日

10月の小田代ヶ原(栃木の秋 1)

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上の写真は何年か前の小田代ヶ原。
10月の写真です。
あと半月もすればこんな景色が見られるようになります。

旅の計画を立てなければ。

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タグ:小田代ヶ原
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